2014年10月11日

「7秒までの、カウントダウン」ペーパー

2013春J.GARDEN無料ペーパー
「うなじまで、7秒」番外編

「社員旅行……ですか?」
 貴船の美しい眉がひそめられている。
「ああ、箱根に一泊だが」
 伊織は好物の茄子のはさみ揚げに箸を伸ばしながらうなずく。
 週末。いつものように伊織のマンションで、二人は食事をしていた。
 伊織の所属する滝本物産マーケティング部では一応「社員旅行費」との名目で毎月いくばくかを積み立ててはいたが、実際に行くことはほとんどない。春頃に積み立て金を一部本人に払い戻し、あとは夏の宴会の補助費になるのが常だった。
「今年はうちの幹事は岡田なんだが、えらく張り切っていてな。仕事が一段落ついて今ならみんな行けるからってことで。岡田の知り合いの旅館に話がついていて貸しきりだそうだ」
 伊織はテーブルの上に旅館のパンフレットを置く。
「見るか? 露天風呂があって、料理は懐石。去年は『みんなの旅館』サイトでランキング三位だったそうだ」
 旅行それ自体よりも、あんなに仕事に対して受け身だった岡田が積極的に幹事を遂行してくれたこと、班の皆が「行きたい」と言ってくれたこと、その気持ちが何より嬉しい。
 旅行までには一泊荷物が入る鞄を買わないといけないな、今持っているのはあまりに出張仕様だから、などと伊織は多少浮かれていた。
 貴船が、低い、ささやくような声で言った。
「あなた。まさか行くつもりじゃないでしょうね?」
 どきりとした。貴船の箸が止まっている。彼の目が冷たくこちらを見つめ、唇の角度が剣呑な気配を漂わせている。
「当たり前だろう」
 伊織は言い張った。
「主任なんだし。それに、もう出席と返事をしてしまった」
「……伊織さん」
 貴船は箸を置いた。
「どうしてそんなに無邪気なんですか。あなた、わかっているんですか? 日本風の旅館ということは、ほかの社員の方と同じ部屋に寝泊まりするし、一緒に風呂にも入るんですよ?」
「ああ、まあ……」
 それはそうだ。
「あなたの全裸をほかの男が見ることを僕に黙認しろと?」
 伊織はあっけにとられて彼を見る。どうやら本気で言っているらしい。
「おまえ。何を心配してるんだ。俺に手を出してくる物好きはおまえぐらいなものだ。現に今まで誰一人そんなことを言ってきたことはないぞ」
 はあ、と、貴船が悩ましく溜息をついて額に手を当てる。まるで出来の悪い生徒に一プラス一を教えているかのような身振りだった。
「伊織さん。あなた、『今まで』とは違うんですよ。こんなこと、言われたらいやだろうけれど……――」
 すっと貴船の足先が、伊織のスラックスの裾にかかった。そこからくるぶしまでを愛撫される。
「な……!」
 ぞくりと震えが走り、伊織の耳を熱くした。
「ね? 今のあなたの身体は、男に抱かれる歓びを知っているんですよ? あなたのことを信じたいとは思っていますが、いかに快楽に従順かも、いやというほどわかっているので……」
「おまえ……」
 そう仕込んだのは貴船だろうに。勝手な物言いにあきれるのを通り越して怒りすら覚える。
「俺のことをなんだと思っているんだ。そこまで尻軽じゃないぞ」
「そのときにならないとわからないでしょう。僕以外の味を試してみたくなるかもしれないじゃないですか」
 食べ物とセックスを一緒にするな。貴船のことは好きだが、彼の倫理観とは相容れないものがある。
「そんなわけ、ないだろう」
「伊織さん。あなた、僕とセックスして喘いだときには、まだ結婚していたんですよ。そのあなたが、ほかの雄に欲情しないなんてどうして言い切れるんですか?」
 だいたい誘いかけてきたのは貴船だろう。貴船だから。あのとき、貴船だったから応えずにはいられなかったのに。ほかではああならなかったのに。
「馬鹿馬鹿しい。あり得ない。現に岡田とくっついて一晩いたときだって別になにごとも……」
 そこまで言って、伊織は口を閉ざした。
 まずいことを漏らしてしまったのではないだろうか。このタイミングで話していいことではなかった。貴船が黙り込んでいる。
「あ、夕飯、うまかった。ごちそうさま」
 ぱたっと箸を置く。
「そうだ。今日は見たい番組があったんだ」
 実際はテレビ番組などほとんど知らない。
「伊織さん」
 ゆっくりと貴船が立ち上がり、伊織の腕を取った。ごく軽く。なのに、万力に締め付けられたように動けなくなる。
「なに。それ、いつのこと? 岡田さんとどうしてそうなったの。向こうから言ってきたの? それとも伊織さんが誘ったの? 僕、詳しく聞きたいなあ」
 彼の口元は笑っていたが、感じるのは強い怒りだけだった。
 ぞわりと伊織の身体中の毛が逆立った。

同人誌「あふれる夜の雫」に続く
posted by ナツ之えだまめ at 05:51| Comment(0) | うなじまで、7秒-番外編
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