2016年01月22日

週末リモンチェッロ

「うなじまで、7秒」の番外編。
フルールさんのフェアに掲載されたもの(許可をとっています)。
甘いリモンチェッロ。それよりも甘いもの。
------------------------------------------------------


 ここまで酔った貴船(きふね)を初めて見る。
 しまった、こんなに飲ませるのではなかったと、伊織(いおり)は深く後悔をする。
 だって、思わないじゃないか。
 まさか、彼が、こんな酔い方をするなんて。

 二ヶ月ほど前。貴船が、イタリアに里帰りした同僚の土産だと言って、伊織の家に「リモンチェッロ」という酒を持ってきてくれたことがある。小さなボトルには青い地中海に白い鳥、そして黄色のレモンと赤い花が描かれていた。中に入っていたのは、ライトイエローのとろりとした液体。含むと、まるでシロップのように甘く、レモンの香りが口中に満ちた。おいしくはあったのだが、その酒は伊織にはあまりにも甘すぎた。
 ただ、あのレモンの香りは捨てがたい。いっそ家にあって持て余しているウォッカで漬けてみたらどうだろうと思いつき、ネットで調べて、国産レモンの果皮をピーラーでていねいにこそげて漬け込み、砂糖液をレシピよりかなり控えめに加えてみた。
 そして今日。休日。昼食のあと。
 いつものように部屋に来ていた貴船にダイニングテーブルで味見してもらったところ、「おいしい」とお墨付きをもらったので、ほっとした。
 問題はそこからだ。
 彼にしては珍しく、小さなグラスで何杯もおかわりをした。
「本当においしいよ、伊織さん。伊織さんがこの手で漬けてくれたんだと思うとよけいに」
 指先に頬ずりされる。貴船はふふっと笑うとリモンチェッロをまた口に含み、陶然とした表情で言った。
「レモンと砂糖があなたなら、僕はウォッカになりたいな。あなたが全部僕に溶けてしまえばいいのに」
 伊織はリモンチェッロの瓶を倒しそうになった。
 酔っている。彼は、酔っているのだ。ウォッカは三十五度。砂糖液の量が少ないのでアルコール度数はほぼそのままだ。
「き、ふね……」
「はい?」
 彼はご機嫌で手を伸ばしてくる。伊織の黒髪を、よく手入れされた指が梳いた。
「どうしてあなたは、こんなに可愛いんだろう」
 冗談で言っているのなら笑えるものを、彼はこのうえなく真剣だ。伊織はテーブルに頭を打ち据えたくなった。
「あれ?」
 貴船が手を止めると、今度は己の額を押さえた。
「おかしいな。なんだかふわふわする」
 ようやく自分が酔っていることに気がついたらしい。
「ちょっと待っていろ」
 伊織はベランダに赴く。今日は天気がいいので客用の布団を干してあった。敷き布団を持ち上げると、和室に広げる。
「貴船」
 和室からダイニングの彼を差し招く。
「ここに横になったほうがいいぞ」
「うん」
 おとなしく彼は、布団に近づいてくる。そして腕の中に伊織を巻き込んで、横たわった。
「貴船」
「伊織さんも一緒に寝ようよ」
「俺は別に眠くないし酔ってもいない」
「ねえ、いいでしょう? 子守歌を歌ってあげるから」
 背中をぽんぽんと軽くはたかれる。貴船は目を閉じて小声で歌を口ずさみだす。日本語でも英語でもない。不思議な、音の連なり。
 やがて、貴船の声が途切れた。背中の手も、止まっている。そっとその腕をほどいて抜け出そうとすると、ぱちっと彼が目をあけた。
「行かないでください」
 彼の懇願はあまりに純粋だった。この男はどこまでもあどけない、胸痛くなるほどの幼さをそのうちに抱えている。
「僕は、伊織さんが好きなんです」
「うん」
 されるがままになりながら、伊織の視線は天井を漂う。こういう直截な愛の言葉の告げられ方には、未だに慣れない。しかも、昼間。明るい和室ときたら、なおさらだ。
「愛しています」
「うん」
 嬉しくないことはないのだが、それよりも、どうしていいのかわからず、戸惑う。そんな伊織の気持ちも知らず、貴船はいつになく絡んでくる。
「わかってます?」
「うん」
「ほんとに?」
「ああ」
「ねえ、伊織さん」
 貴船はそのすべらかな頬を伊織の首筋に押しつけてきた。猫が主人に対するような甘えたしぐさだった。
「どうしよう。日ごとにあなたが愛しくなるんです。お付き合いを始めたときより、もっとずっと今のほうがあなたを好きになっている」
「そうか。それはよかった」
 つい、素っ気ない返事をしてしまう。
 だって、貴船にふれられているのだ。意識をそらせていないと、春を迎えた種子のように伊織の欲望が芽吹いてしまう。
「伊織さんの匂い……」
 くんくんとかがれて身を引こうとすると、「逃げないで」とやんわりと、しかし断固として引き戻される。
「あなたに拒まれると、悲しくなるから」
 そんな目で見ないで欲しい。
 ここで、この部屋で。弟を泊めたときに、貴船に挑まれ、はねのけた。そのときに見せた貴船の傷ついた顔は、今でも思い出すことができる。
「それは、すまなかった」
 あのときのぶんも含めて謝罪の言葉を口にする。
「知ってました? 僕は、あなたに微笑んでもらうためだけに生きているんです」
 白い麻のシャツから覗く首筋から貴船の匂いがしている。手のひらで背中を撫で下ろされる。羽毛でくすぐられるかのごとき肌への刺激に、次第に身体が耐えられなくなる。
 貴船はただ無心に、母親の乳を吸う赤子のように、伊織の肌を楽しんでいるというのに、自分は、正確には自分の中にある官能は、主人の顔色を窺いながらミルクの周りをうろうろしている子犬のように、彼に愛撫されることを望んでいる。
 もう、いい? ねえ?
「伊織さん?」
 貴船がちょんと眉の間をつつく。
「どうしたの? 難しい顔してる」
「いいか?」
「うん?」
「そろそろ台所に行ってもいいか? 瓶とグラスを片付けてこないと」
「だめです。ここにいて」
 貴船がぎゅうと抱きついてきた。ふっとその動きが止まる。彼の色素の薄い瞳が、自分を見つめた。
 そして、蕩けるような、笑みを浮かべる。
「ああ、伊織さん。あなた……――」
 知られてしまった。なんとか穏便に逃れようとしたのに、彼に知られてしまったのだ。
 貴船が体重をかけないように、こちらに覆い被さる形をとる。
「ここ?」
 耳たぶを軽く噛まれ、つっと、ごく軽く、彼の右手の指の腹が、伊織のチノパンの前立てを撫でた。
 ほんの、ひと撫で。それだけだったのに。
 伊織はびくりと身体を震わせる。
「あ、あ。嘘……」
 どれだけ自分は貴船の指が好きなのだろう。今ので、いとも簡単に、薄絹が端から裂かれたように、あっけなく達してしまった。下着とチノパンに、放った粘い液がじわりと滲んでいくのを感じる。
 貴船は満足げに微笑んでいる。
 たいがいの恥ずかしさには慣れていたつもりだった。
 でも。こんな昼日中に。一方的に欲望を募らせて、達してしまうとは。
 なんて、はしたない。
 両手で顔を覆う。
「顔を、見せて。伊織さん」
「いやだ」
「ちゃんと、ほら、ね?」
「いや」
「なんで?」
「恥ずかしい、から」
「僕のせいでそうなったんだよね。だったらよけいに、見たいな」
 すっと耳元に貴船の唇が寄る。
「見せて、伊織」
 初めて名前を呼び捨てにされた。驚いたあまり、力が抜けたところを、彼に手を外される。おそろしく整った顔が、笑みを含んでこちらを覗き込んでいた。
 唇が重なる。
 かすかにレモンの味のする舌に忍び込まれて、伊織の口中に唾液が満ちてくる。これから起こる美味しいことを、とてもよく知っているみたいに。


posted by ナツ之えだまめ at 15:37| Comment(2) | うなじまで、7秒-番外編
この記事へのコメント
酔わなくても充分にベタ甘の貴船なのに!リモンチェッロは少しビターなのがスパイス。甘く溶けそうな味わいの後に残る苦味は 恋心の苦さかしら… 爛れ堕ちそうな想い、制御できない心の在り方…『貴船が「本気」出したら!』(副題)が次作になるんだろうか……(うへへへへ黄ハート負けるな伊織!)「うなじまで」では 恋に落ちる「官能」に 思わず吐息しました。続編が「悦楽」とは意味深で鼻血垂れ下がりました。カレンダーに赤丸付けて待っています!
Posted by かみな at 2016年01月23日 22:35
>かみなさん
そうそう。リモンチェッロはほんの少しビターでおとなの甘さなんですよね。
次の「悦楽」は、より二人の関係を見つめていきたいなと思っています。おつきあいいただけるとうれしく思います。
Posted by ナツ之えだまめ at 2016年01月24日 13:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。