貴船の誕生日、11月11日に。
昔の彼女視点です。
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あなたは、魔物だった。
あなたは暗く、救いようのない暗闇を抱えていた。そのままでいたら、どこまでも沈んでしまいそうだった。あなたを救うのは私、このクリスティン・キンブリック。さながら昔語りの乙女のように。そう信じていたのに。
彼の名前はショーン。ショーン・キフネ。
日本名は貴船笙一郎。
私の初恋の人だった。
彼は高校の同級生だった。冴えないやせっぽちのスクールガールだった私を「美しい」と言ってくれた。それは、彼が私を好ましいと思ってくれているからだと、愚かにも私は信じていた。
なんておめでたい女だったのだろう。彼はおべっかを使う男ではなかった。必要がなかったのだ。
そうではなく。
私の体つき、目鼻の位置、頭の形、そういったものからバランスのよさを彼は見抜き、正しく評価してくれただけだった。そこに愛情はない。あるとしたら、不当に泥にまみれているダイヤモンドの原石を拾って輝かせたいという芸術家の業めいたもののみだった。
その当時、私は服なんてどうでもいいと思っていた。ジーンズにTシャツだった私に、彼は諭すように言った。
「服はね、一番あなたに近い『環境』なんだよ。暗い納屋の隅にいるときと、日差しの暖かな春の公園にいるときでは、心持ちがまるで違っているでしょう?」
私の長身にふさわしい着こなし、赤毛に生えるシャツの色、身体に沿ったコートのライン、アクセサリーの見せ方。彼は私にそれらを教え込み、私はそれにこたえた。
率直に言って、彼とつきあった半年のあいだに私は変わった。陳腐な言い方をすれば――そしてそれがもっともふさわしい比喩だった――芋虫が蝶になるように、だ。
ばかなクリスティン・キンブリック。
しかし、それゆえに幸せだった。
あまりに無邪気な初恋だった。
あの頃の私は、彼に愛されていると盲目的に信じていた。
彼は少しずつ私をほぐし、柔らかいものにして、そのうちに愛し合った。違う、間違った。愛し合ったと思い込んでいたのは私だけだ。端的に言えば、セックスをした。彼のやり方は性急ではなく、今思えばあの年頃の男の子とは思えないほどに成熟していた。
とろけるようなセックスだった。それから今まで、あんなに感じたことはない。
いったい、彼はあのときまでに何人を相手にしてきたのだろう。
彼の悪い噂は聞いていた。年上の女性とつきあっているとか、女教師と関係を持っていたとか、近所の母親の友達が手ほどきをしたとか。だけど彼は優しかった。紳士で、とても優しく私のことを見守ってくれた。
私は誤解していた。いや、したかった。
彼とともにある未来を私は描いていた。彼と結婚し、彼の子を産み、一生をかわいがられて過ごす。そして最後には大勢の孫に囲まれて生涯を終えるのだ。
けれど、ときどき彼の見せる目が気になっていた。遠い目。どこか彼方を見つめている。
――ねえ、ショーン。あなたはなにを見てるの。だれのことを思っているの?
輝いて見える人だよ、と彼は言った。
なにそれ。ひとが輝いて見える? 教会でシスターの言っていた聖人のこと? ばかばかしい。
彼は困った顔をした。そうして、二度とは話してくれなくなった。
――ねえ、ショーン。あなたはなにを見てるの。
私の問いに彼はこう答えるようになった。
――なにも。
あたかも、私には話が通じないとでもいうように。
あのとき、なぜ気がつかなかったのか。彼は私を愛してなどいなかった。さらに言えば、今まで彼が肌を触れあわせただれも、愛していなかった。
女たちと戯れ、愛を受け、それなのに決して愛を返そうとしない。実(じつ)がない。それがあなた。魔物のような男。
あなたの中には空洞がある。それは死へと繋がっている。あなたは満たされることがない。だからこそ、女たちは夢中になった。こちらに、生者の世界にとどめ置こうとして。
でも。
「あなたは、つまらない男になったわ」
十数年のときを経て、目の前に座っている男に私はそう宣言する。
「そう?」
彼――貴船笙一郎――は暴言ともとれる私の言葉に、たいして衝撃を受けた様子はなかった。
細いストライプのスーツ。淡い色の髪と目。白い肌。胸元の華やかなハンカチーフの色が、彼のあごの線を引き立ている。椅子に姿勢良く座り、傍らには小型のICレコーダーがある。
貴船より、むしろ、私のマネージャーが目を剥いていた。
ここは都内、汐留にあるホテルの一室だ。窓からは昔、この国の王の別邸だった公園が見下ろせる。
私はモデルから女優へとステップアップした。今度の映画では主役を務める。そのプロモーションのために来日した。
日本には彼がいるのを知っていた。人づてに通訳の仕事をしていることも。私は、仕事を始めてから、およそ初めてのわがままを通した。
――ロングインタビュー? いいわ。ただし、インタビュアーはこちらの指定した人物以外は認めない。
「クリス、きみ、おかしいよ。インタビュアーを指名したり、そんなこと言ったり。……すみません。いつもはこんなんじゃないんです」
マネージャーが貴船に言い訳する。
「知ってます。じつは彼女は古い知り合いなんです」
「え、え」
「だから、つい、気安い話し方になるんだと思います」
彼はこちらを見て言った。
「あなたが言うなら、きっとそうなんだろうね。ぼくは今のほうが充実しているけれど」
彼は鷹揚な態度だった。
そういうところよ。
昔、私とつきあっていたころのあなたは真っ黒な穴を抱え込んでいたわ。それはおそらく、あなたがあまりに早く知った、生々しい死の手ざわりのせい。
今のあなたはどう?
普通の人間じゃない。
マネージャーが彼にしきりに謝っている。
「本当に悪く思わないでください。つまらないなんてとんでもない。最初に拝見したときに、あまりにハンサムなので驚きましたよ。俳優としてスカウトしたいくらいです」
マネージャーの言葉は、冗談だけではない気がした。
「ありがとうございます。でも、ぼくなど見かけ倒しですから」
そう言ってさらりとかわす。貴船はこの手の勧誘には慣れているようだった。
インタビューが終わり、内容に関して軽くマネージャーと打ち合わせた彼は、部屋から出て行く。そのあとを、私はついて行く。ヒールで。無言で。
ホテルの廊下、エレベーター、ロビー、ついには表通りまで。彼が立ち止まり、振り返った。
「どこまで来るの?」
「迷惑?」
彼はためいきをついて髪をかき上げる。
「ひとを、待たせているんだ。今日は元々休日で、ぼくの当番だったんだ」
「当番? なんの?」
「クリスティン」
胸をときめかせた、その声。ニュージャージーのまだ緑多い、原っぱばかりのその街で、あなたが私を呼ぶ声。
――クリスティン、きみは美しいよ。とてもね。
彼はまた歩き出す。私はついて行く。駅前を通り過ぎ、ビル街のほうに行く。
私の顔を使った広告が、上から見下ろしていた。彼は歩きながら言った。
「もう帰りなさい。あの人たちが困っているよ」
あの人たちとは、私の警護をしている男たちだ。少し離れてついてくる彼らは、この街で異質な存在だった。
「気が済んだだろう?」
まるで小さな女の子に言い聞かせるような調子だった。そして私は、まるで小さな女の子のようにだだをこねる。
「いやよ」
「貴船」
道の向こうで、日本人の男の人が彼を呼んだ。
貴船の雰囲気が変わった。柔らかいものをまとった。一刻も早く辿り着きたいというように、早足になる。
「伊織さん」
そのスーツの男の人は、カンガルーのように子どもを胸に抱いていた。赤ん坊からようやく脱したくらいの女の子だった。さらに彼は、肩に買い物袋をかけている。
「貴船。仕事は終わったのか?」
「ええ。すみません。ぼくが当番だったのに、どうしても断れなくて」
貴船が日本にこだわっていたから、私も日本語が少しはわかる。
私は伊織という人が抱えている女の子を見た。それは伊織の子どもなのだろうか。貴船の子にしては日本的すぎる。
子どもは貴船のほうに、喜んで手を伸ばす。貴船は彼女を抱きかかえた。
彼らのあいだに特別ななじみかたがあった。
伊織のバッグからは長ネギがつきでている。そのバッグを伊織は開いて、貴船に見せている。
「鴨肉ってこれでいいのか?」
「合ってますよ。この時期の鴨は脂がおいしいんです」
伊織が、こちらを見た。
どきどきするほどに漆黒の瞳。
だれなのか、と、貴船に聞いている。貴船は困ったように、けれど端的に正直に私のことを話した。
「クリスティン・キンブリック。ぼくが……ニュージャージーのハイスクール時代に……」
「ああ……」
私のことを聞いたことがあったのだろう。伊織はすぐに合点したようだ。うなずき、それから私に笑顔で会釈してきた。
ずるい。
そう思った。
全部わかって、そしてそれを許されてしまった。
伊織は私を拒まなかった。
貴船の過去を構成するひとつとして受け入れ、敬意を払ってくれた。
そんなの、勝てないじゃない。
勝てるわけ、ないじゃない。
ものすごい敗北感が私を襲った。
「帰るわ」
私はきびすを返す。黒服の男たちが、慌ててついてくる。
「さよなら、クリスティン」
貴船の声が背後から響いた。
「もう、追わないわ。あのときのあなたはいないもの」
あなたは魔物だった。
けれど、うまれかわったのだ。
血の通った人間に。
貴船笙一郎、お誕生日、おめでとう。
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伊織の腕の中で、愛美は眠ってしまっている。柔らかい重みを丁重に、迎えに来た元妻の夫に手渡す。彼はドラムスティックケースをかけた肩をゆすりあげ、寝てしまった子どもをカンガルーのように胸に抱えた。
「ありがとうございました」
彼が去ってのち、いきなり貴船が饒舌になった。
違うんです、と、貴船は必死に言いつくろっている。食器洗浄機から皿を取り出し、まだ残っている水気を拭きながら、伊織は黙って彼の言い分を聞いている。
彼女のほうからどうしてもと大島さんにねじこんできたんです。
大島さんにインタビュアーは未経験なのでと断っても、だれでも最初は未経験者なんだよと聞いてくれなくて。
もう彼女のことはなんとも思っていないんです。休日出勤の伊織さんに愛美ちゃんのお迎えを頼んでしまったので、早く帰りたかったんですけど。
あそこまで来てしまったのは、インタビュー会場のホテルが汐留で家の近くだったからで。
ああ、どうしてぼくたちは二つの身体なんだろう。一つだったらこんなことにはならないのに。
伊織はあきれる。
この男は何を言い出すやら。
「わかってる」
「伊織さん」
伊織は袖をまくったまま、貴船に向き合う。その、色の薄い瞳を見つめる。
「いまのおまえには俺だけだとわかっている。昔のことを言ってもしかたないだろう。たしかにあまり褒められたことではないがな」
「……」
貴船は可愛いな、と、伊織は思う。伊織のちょっとした物言いで、こんなにもしょげてしまう。
「だが、それがあったから、今の貴船なんだろう? 俺はけっこう気に入っているんだが」
ぱっと顔を輝かせる。
吹き出しそうになるのをこらえる。だれが知っているだろう。あのいつも傍若無人ともいえる澄まし顔の下に、こんな少年のようなみずみずしさを持っているなんて。
それを知っているのは、自分だけだ。自分だけで充分だ。
「誕生日おめでとう、貴船。今日はふいのことがあったのでなにも用意していないんだが、なにかして欲しいことがあったら言ってくれ」
「……いいんですか?」
「ああ」
不適に笑ってみせる。
「どんなはしたないことでもしてやるぞ」
「……あの、じゃあ」
なんだろう。言いよどんでいる。貴船でさえためらう、すごいことなのだろうか。
意を決したように、彼は言う。
「抱きしめてください」
抱きしめてくれ?
これだから。
伊織は、とうとう笑いだす。
恥ずかしげにしている貴船が愛しすぎる。
「お安いご用だ」
その身体に、そうっと腕を回してやった。温かさが伝わり、自分の想いが体温にのって彼と混じり合う。
伊織は歌うように言う。
「二つの身体のほうがいいな」
「なんでですか?」
「そのほうがずっと楽しいから」
そう言って、伊織は貴船の頬に口づける。
手練れの貴船の指が、今度こそ伊織の身体の奥の熾火をあおるように背骨にそってうごめき出した。
【うなじまで、7秒-番外編の最新記事】
何度も読み返して、二人のラブラブっぷりに身を浸しています^_^
久しぶりに大好きなお話が読むことができて、大変嬉しかったです!
悦楽よりも深くの作品はここのえだまめ小説を読んでないとわからない部分もあるのですね。
まだまだ続編をお願いしたいのですが、商業ものではもう出版予定はないのかな。
元カノ視点面白かったのですが、いつの間にか伊織さんの元嫁の娘を預かるようになったのかが謎ですね。
ところでいつになったら伊織さんは貴船さんのこと苗字ではなく名前呼びになるのでしょうか。
読んでくださってありがとうございます。
フルールさんは私のデビュー元でもあり、相性のいい版元さんだったんですが、残念ながらもう書けることはないのだろうなと思います。本当に残念です。
ページ数の都合や、商業小説では書けないことがあるとき(二人のラブ以外はあまり歓迎されなかったり)にはBL作家はおうおうにして同人誌で補完という形をとります。私も『うなじまで、7秒』、『悦楽よりも、深く』については三冊の同人誌を出しました。ここもまた同人誌的なサイトですね。
伊織さんは「いざというとき」には笙一郎呼びですが、それ以外は一生「貴船」って言ってそうな気がします。